ju_o_moのブログ

備忘録的な何か

ひめゆり平和記念資料館への支援を

 

 

高校の修学旅行先が沖縄だった。

沖縄県平和祈念資料館やガマの見学、そしてひめゆり平和祈念資料館を訪れ実際に学徒隊員だった方の体験談を聞くという行程を組んでおり、「歴史に失礼の無いようそこで何があったのかをしっかりと学んだ上で向かう」という方針だったので、戦争についての事前学習を徹底的に行っていた。

その中で、今井正監督の『ひめゆりの塔』(1953年版)を授業で観賞し、自分達と同じ年頃の少女たちが、なんら自分達と変わらない姿で生き生きと描写されていただけに、余計にどれほど悲惨なことだったのかを、文章ではなく映像で見たことでより打ちのめされた。

そして、これは単にフィクションの物語なんかではなく、事実として起きたことであり、それをこれから学びにいくのだという覚悟を皆が持っていたように思う。

 

そして実際にひめゆり平和祈念資料館を訪れた際に、今でも忘れられない、今思い出しても怒りと不愉快と悲しみで思考が染まる出来事に遭遇したことを覚えている。

 

 

展示の数々から、彼女たちがこの地に生きていたこと、そしてこの地で亡くなっていったことをあらためて思い知り、戦争の悲惨さに胸が張り裂けそうになりながら、友人と2人で第四展示室まで来たときのことだった。

周りには同じ学校の生徒が何組か同じように見て回っていて、皆神妙な面持ちで祈りを捧げていた。

そのときに3人組の他校の男子生徒がふざけながら入ってきた。

 

彼らが口にしていた言葉は書かない。

あの戦争で亡くなった彼女たちを、ひいてはあの資料館そのものを侮辱するものであり、その再生産には荷担したくない。

それほどに酷いものであり、当人たちは無自覚なままその言葉を発していた。

 

あまりの発言と光景に、自分も含めその場にいた全員が唖然としていた。

展示室を出ていく彼らに何も言えないまま、

お前たちは何を言っているんだ、ここがどういう場所なのかわかっているのか、ここに飾られた彼女たちの写真がどういう意味をもつのかわからないのか、と猛烈な怒りが込み上げてきたときだった。

 

隣にいた友人が「ああならなくてよかった。」と吐き捨てるように呟いた。

 

そこで気がついた。

ああ、自分にもああなっていた可能性はあるのかもしれない。

もちろん「普通に」考えたなら、ふざけたことを言っていい場なのかどうなのかくらい、高校生でなくとも判断はつくはずだ。

けれど周囲や大人がそこがどういう意味をもつのかを教えても、自ら知ろうとしなければ、誰かの大切なものを土足で踏みにじる行為を行ってしまう、そんな人間になる可能性は誰にでもあるのだ。

無知と無関心とはそういうことなのだと。

 

一瞬で怒りが恐怖に、そして悲しみに変わり、友人の言葉にただ「そうだね。」と返すだけで、何も言えなくなってしまった。

友人も自分も、自分の気持ちが整理できないまま、ただ、「ああなってはいけない」と強く思っていた。

 

そこからはより一層噛み締めるように各展示を見て回り、出口付近にあったアンケートの用紙に、とにかく思ったこと、感じたことを端から端まで書き殴った。

内容は今思えば支離滅裂だったと思う。

自分達と同じ年頃の少女たちがどんな目に遭ったのか、そして、亡くなってから自分達と同じ年頃の男子生徒にどうしてあんなことを言われなくてはならないのか、あらゆる面で今自分達が生きている時代との剥離の激しさに、やりきれなくて気持ちを文字として叩きつけていた。

友人も、そして、あの時第四展示室にいた他の生徒も同様だった。

たぶんあの場にいた全員、そうすることでしかやりきれなかった。

泣きそうになりながらも、泣いてはいけないと思った。

 

 

そして、実際にひめゆり学徒隊員だった方の講演を聞き、何もできないまま運ばれてきた兵士が事切れていく様や、さっきまで話していた友人が砲弾に撃たれ、死にたくないと泣きながら腕の中で亡くなっていったことを、声を震わせながら語られるのを聞いて、様々な感情が交錯する中とにかく戦争は嫌だと強く思った。

そして講演後にその方は「聞いてくれてありがとう。」と涙ながらに頭を下げていた。

 

戦争の恐ろしさと同時に、無知・無関心であることの恐ろしさも味わっただけに、今でもその「ありがとう」の言葉に見合う自分でいられているのだろうかと、己に問いかけている。

当時はとにかく高校生にもなってふざけたことをぬかすあの3人組の男子を蔑んでいたけれど、今は、彼らが高校生になるまでにきちんとあの場所の意義を伝えられる大人はいなかったのだろうかとも思う。

上で自ら知ろうとしなければ教えても意味がないとは書いたけれど、自ら知ろうとする姿勢を育てるのは大人の責任でもあると思う。

 

 

現在新型コロナウイルスによる影響で、民間運営であるひめゆり平和祈念資料館が存続の危機となっている。

戦争から遠くなればなるほど、より一層そこに想像力を働かせることが困難となってしまうだけに、自分が大人となった今は受けとる側ではなく、伝える側にならねばならないと感じている。

 

私たちが行ったときにはまだ無かった第六展示室、次世代の人間が平和について語り合える場をとのことで増設された『平和への広場』に、いずれ訪れたいとの想いも込めて、支援の和を少しでも広げられたらと切に願う。

 

 

 

クレジットカード・AmazonPayによるオンライン寄付

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銀行振込・郵便振替による寄付

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眼瞼下垂手術までのレポ

先日Twitterで眼瞼下垂の手術をしたレポ漫画がTLに流れてきて、何の気なしに読んでみたら、「あれ、これ全部自分にも当てはまるのでは?」と医療機関を受診したところ、思っていた以上にサクッと診断おりてサクッと手術が決まったため、備忘録的に色々書いておこうかなと。

 

ちなみに、結果から書いてしまうと症状は中等度で、恐らく先天性のものも原因としてあるのではないかとのこと。

 

※誰かの参考になればと言いつつ、個人的備忘録メインの「とりあえず」としての内容であり、正確性を担保するものではないので、気になる方はその後各自で詳しく調べてほしい。

 

 

 

 

そもそも『眼瞼下垂』とは

ざっくり言ってしまえばその名前の通り、まぶたが垂れ下がってきて、視界が見えにくくなる病気である。

大きく分けて先天性眼瞼下垂症後天性眼瞼下垂症の2種類があり、前者は生まれつき、後者は加齢やコンタクトレンズの長期使用、まぶたの擦りすぎなどによるものとなる。

原因として主にまぶたを引っ張る腱膜、筋肉、神経の異常によって起きるもので、

これと似た眼瞼皮膚弛緩症という症状もあるが、こちらはまぶたの皮膚がたるんで下がってしまうものとなる。

尚、どちらも自然治癒はなく、手術は保険適用となる。

 

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セルフチェックとして↓

・目を開けようとすると額に力が入る。
・視野が狭くなった。
・物を見るときに顎を上げる。
・頭痛や首、肩こりの症状がある。

あたりがメインとなるらしく、これに加えて見た目の変化として、

・以前より目付きが悪くなった。

・眠そうな目になった。

・まつげが下を向くようになった。

・眉と目の間が広くなった。

・額にシワが入るようになった。

等がある。

 

 

症状として思い当たったもの

自覚症状にあたるものは、基本的にここ2~3年の間に色々出て来て発覚していった感じになる。

 

①映画館で映画を観賞する際に、スクリーンの上部が見えづらくなった。

IMAXシアターの画角が視界にきちんと収まらず、(今思えば)無理して顎を上げて鑑賞していたことにより、首の痛みと眼精疲労が以前より酷くなっていた。しかし当時急激に視力が落ちていたのもあって、勝手にそっちが原因の何かだと思って諦めていた。

 

②他者が撮ってくれた写真の自分の目が明らかに開いておらず、常に眠そうな、もしくは前方を睨み付けるようなものとなっていた。

やたら写真写り悪いな~でもまあ元々目ぇ細いしな~とあんまり気にしていなかったが、何の気なしにみた6年前の妹との写真を見るとしっかり目が開いてるのでこのあたりであれ?となる。

 

③眉の上部がやたらと筋肉で盛り上がり、額に横線のシワがいくつか入り始めた。

これがわりと深刻で、見た目として顕著に出ていた。ただ、普通に加齢が原因だと思っており、これでもまだ20代なのにと正直中々ショックを受けつつも、なんとかならんかなとスキンケア系列の方で頑張っていた。

 

あと常に肩・首がこり、頭痛がするのに関しては、仕事が仕事だし気圧にすぐ影響を受けるので、何が原因とかじゃなく複合的で慢性的なものだろうなと考えていた。

また、顎を上げてものを見ているのも、以前から他者に指摘されていたが、元々かなりの猫背であったのでそれが原因だと思っていた。

 

『眼瞼下垂』を知ったきっかけ

そんなこんなで、それぞれの箇所の不調は常に感じつつ、けれど特にそれらを関連付けることなく過ごしていたところ、たまたまTwitterのTLに流れてきた眼瞼下垂手術のレポ漫画を読んだ。

眼瞼下垂って何?そんな症状あるの?へぇ~~くらいの気持ちで読み進めていたところ、

いやこれもしかしてめちゃくちゃ自分にも当てはまるのでは?と気がつき、各専門サイトで調べたら、上記したそれぞれの不調は全てここに集約されているのでは?と本格的に気になってくる。

手術に至るまでの流れやリスク等検討しつつ、いやまず診断受けないことには始まらないな!と、最寄りの専門機関をここでようやく探し始めた。

 

病名を知らなければそもそも調べようがないのを改めて感じたし、こうやって点だった症状が一気に線で結ばれていくんだなぁとちょっと不思議な気分になった。

 

診断と結果

正直病院を選ぶ基準がさっぱりだったので、近場でいくつか良さそうな病院を探し、メールフォームから疑問質問込みで連絡を送ってみて、ぶっちぎりで一番対応が懇切丁寧だったところの予約を取って診察に向かった。

 

診察内容は

・一度目を閉じて開けた状態で瞳孔がどのくらい見えているか、また、まぶたがどのくらい持ち上がるか。

・眉を押さえた状態で目が開けるか。

・棒状の器具で目元を押さえて、眼球を上下に動かした際に、黒目の動く幅はどのくらいか。

等様々だった。

ただ、正直わりと最初の方でもう先生に「あぁー、これは、うん。」みたいなリアクションをされていた。

 

一応参考までに写真をあげておくと、こんな感じである。
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瞳孔が1/3程度まぶたに隠れており、左目のまぶたの方が右目より若干下がり気味である。そしてまつげが思いっきり下を向いている。写真だと少し分かりにくいけれど、特に右目上部の目頭側で、二重とは違うまぶたが落ち窪んだ線が若干入っている。

尚、これは通常の状態で撮った写真だけれど、眉の上部を押さえると、これ以上目が全く開かなくなってしまうので、最初に図解した絵の「最大限目を開いた状態」と同じ状況になる。

 

診断結果は最初に書いた通り、若干先天性のものも含めて中等度で腱膜の異状によるものではないかとのこと。

自覚症状自体がそこそこ最近なので、自分で気がついていなかったか、もしくは長年の無理がたたって悪化したのでは、とのことらしくそのままサクッと手術が決定。

 

ちなみにわたしの目は、眼球が通常より奥に引っ込んでいるらしく、それによってそもそもの眼の筋力自体が弱いのではという指摘も受けた。(言われてみれば蒙古襞はがっつりあるのに、目頭が妙に内側に切れ込むような形になっている理由は、眼球が奥にあるから線として出てないのかと納得)

 

手術内容

これに関しても先生が図解で詳しく説明してくれたのだけれど、要はまぶたを切り開いて問題の箇所を治し、再びまぶたをくっつけるという流れになるので、どうしても切り開いた傷跡の部分が二重の線として残るとのこと。

元々二重の人はその線をなぞる形で切り開けば問題はないし、目を二重にしたい分には(※保険適用手術ではあるので美容整形のものと同じとはいかないにしろ)ある程度自分の好きな幅にできるものではある。

 

ただ、わたしの目は先ほどの写真の通りであり、個人的に二重にしたい願望はなかったのと、ぶっちゃけこの目で平行二重を作ると半端なく顔に違和感が出てしまうので、あんまり人相が変わらない方向での手術は可能かと事前にメールで問い合わせていた。

その結果、目頭の奥に入っている部分から目尻にかけてを奥二重になる形で切り開いて、奥二重になった部分は自然に隠れるようにすればそんなに元の顔との差違は出ないだろうとのことで、それでお願いすることにした。

ちなみに先生が平行二重のバージョンも器具で押して見せてくれたけど、あまりにも違和感がすごすぎて「いやこれは無いっすね」みたいな反応をしてしまって先生が半笑いだった。

 

手術では、まず局所麻酔の後まぶたを切り開き、腱膜の一部である眼窩隔膜という部分を瞼板に縫合するとのこと。

先天性の場合は上眼瞼挙筋という筋肉の問題らしいので、手術内容が変わるそう。

 

術後2~3日はかなりまぶたが腫れるので、あまりまぶたを動かさないようにとのことで、抜糸は1~2週間後、完全に腫れが引くには2ヶ月程度かかるらしい。

「たまに全然腫れない人なんかもいるんだけどね」とのことだったので、この辺については実際やってからじゃないとわからんなって感じ。

 

費用

これはどこの病院でもそうだけど、手術には健康保険が適用されるので、3割負担の場合、両まぶたを手術した場合の費用は約50,000円になる。

ここで形や幅をデザイン重視で細かく決めたい場合は保険適用外の美容手術となるため、病院によって値段が変わってくる。が、基本は高額になるし、納得がいかなかった場合に、他院での施術も含めて修正もできるはできるみたいだけど、こちらは更にプラスでウン十万かかってしまうそう。

 

まとめ

そんなこんなで思っていた以上に色んなことがあっさり決まったのだけど、これに関しては上でもちらっと書いた通り、事前に手術内用やリスクも調べた上でメール相談もした流れがあったからってのは注釈入れておきたい。

もちろん視界の良好最優先とはいえ、顔の印象が一気に変わってしまうものでもあるし、「イマイチだったからもっかいやり直してほしい」が簡単にできないからこそ、慎重になった方がいいかなとは思う。

また、副作用や合併症等でまぶたの腫れや目が閉じにくくなったりもするそうなので、わたし自身は仕事柄別に表に出ないので、ここは特段気にすることはなかったけど、人と接することが多い人なんかは、その辺も込みで手術日程を決めたりなんかもしなきゃいけない。

 

わたしが行った病院は美容外科の経験も経た上で形成外科をやっている先生のところだった(というか、これも選んだ決め手だった)のだが、事前のメールでも問い合わせていた見た目の変化について、かなり丁寧にヒアリングしてくれたので、気になるところはほんとじゃんじゃん聞いてった方がその後が楽だなと。

 

とりあえず今後のスケジュールが出次第、6月後半を目処に手術する予定となったので、術後どうなるかはまたこんな形で書いていこうかなと思ってる。

 

 

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しかし何が一番悲しいって、そもそもわたし慢性的な鼻炎持ちで、その影響でしょっちゅう中耳炎になるし、肌は不摂生も相まって常に変な荒れ方してるし、歯は一度子供の頃に矯正したのに大人になってから歪んでしまって、その上顎関節症まで出てるっていう状況だったのに、唯一視力以外はなんともなかった目に今回症状が発覚してしまったことで、

自分の顔のパーツでまともな箇所が何一つねぇという、わたしなんか悪いことしたのか……??

しかもこの中で治すのにかかる費用が一番安いのが今回の眼瞼下垂という。

 

あとおでこのシワは先生にも、「その歳でこれはちょっと早い」と言われるくらいに出てるので、目よりもこっちのが個人的にはダメージでかい。早いとこストップかけたい。

 

 

ただまあ説明受けてるときに「頭痛・肩凝りはありますか?」って聞かれて、

「めちゃくちゃありますが仕事が仕事なので原因が何なのかもうよくわかんなくなってて……」って返してしまい、先生も「そうだよねぇ……」ってなったのだけはフフッてなった。

 

とりあえず現状そんな感じ。