ひめゆり平和記念資料館への支援を
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— ひめゆり平和祈念資料館 (@himeyuri_peace) 2021年6月6日
高校の修学旅行先が沖縄だった。
沖縄県平和祈念資料館やガマの見学、そしてひめゆり平和祈念資料館を訪れ実際に学徒隊員だった方の体験談を聞くという行程を組んでおり、「歴史に失礼の無いようそこで何があったのかをしっかりと学んだ上で向かう」という方針だったので、戦争についての事前学習を徹底的に行っていた。
その中で、今井正監督の『ひめゆりの塔』(1953年版)を授業で観賞し、自分達と同じ年頃の少女たちが、なんら自分達と変わらない姿で生き生きと描写されていただけに、余計にどれほど悲惨なことだったのかを、文章ではなく映像で見たことでより打ちのめされた。
そして、これは単にフィクションの物語なんかではなく、事実として起きたことであり、それをこれから学びにいくのだという覚悟を皆が持っていたように思う。
そして実際にひめゆり平和祈念資料館を訪れた際に、今でも忘れられない、今思い出しても怒りと不愉快と悲しみで思考が染まる出来事に遭遇したことを覚えている。
展示の数々から、彼女たちがこの地に生きていたこと、そしてこの地で亡くなっていったことをあらためて思い知り、戦争の悲惨さに胸が張り裂けそうになりながら、友人と2人で第四展示室まで来たときのことだった。
周りには同じ学校の生徒が何組か同じように見て回っていて、皆神妙な面持ちで祈りを捧げていた。
そのときに3人組の他校の男子生徒がふざけながら入ってきた。
彼らが口にしていた言葉は書かない。
あの戦争で亡くなった彼女たちを、ひいてはあの資料館そのものを侮辱するものであり、その再生産には荷担したくない。
それほどに酷いものであり、当人たちは無自覚なままその言葉を発していた。
あまりの発言と光景に、自分も含めその場にいた全員が唖然としていた。
展示室を出ていく彼らに何も言えないまま、
お前たちは何を言っているんだ、ここがどういう場所なのかわかっているのか、ここに飾られた彼女たちの写真がどういう意味をもつのかわからないのか、と猛烈な怒りが込み上げてきたときだった。
隣にいた友人が「ああならなくてよかった。」と吐き捨てるように呟いた。
そこで気がついた。
ああ、自分にもああなっていた可能性はあるのかもしれない。
もちろん「普通に」考えたなら、ふざけたことを言っていい場なのかどうなのかくらい、高校生でなくとも判断はつくはずだ。
けれど周囲や大人がそこがどういう意味をもつのかを教えても、自ら知ろうとしなければ、誰かの大切なものを土足で踏みにじる行為を行ってしまう、そんな人間になる可能性は誰にでもあるのだ。
無知と無関心とはそういうことなのだと。
一瞬で怒りが恐怖に、そして悲しみに変わり、友人の言葉にただ「そうだね。」と返すだけで、何も言えなくなってしまった。
友人も自分も、自分の気持ちが整理できないまま、ただ、「ああなってはいけない」と強く思っていた。
そこからはより一層噛み締めるように各展示を見て回り、出口付近にあったアンケートの用紙に、とにかく思ったこと、感じたことを端から端まで書き殴った。
内容は今思えば支離滅裂だったと思う。
自分達と同じ年頃の少女たちがどんな目に遭ったのか、そして、亡くなってから自分達と同じ年頃の男子生徒にどうしてあんなことを言われなくてはならないのか、あらゆる面で今自分達が生きている時代との剥離の激しさに、やりきれなくて気持ちを文字として叩きつけていた。
友人も、そして、あの時第四展示室にいた他の生徒も同様だった。
たぶんあの場にいた全員、そうすることでしかやりきれなかった。
泣きそうになりながらも、泣いてはいけないと思った。
そして、実際にひめゆり学徒隊員だった方の講演を聞き、何もできないまま運ばれてきた兵士が事切れていく様や、さっきまで話していた友人が砲弾に撃たれ、死にたくないと泣きながら腕の中で亡くなっていったことを、声を震わせながら語られるのを聞いて、様々な感情が交錯する中とにかく戦争は嫌だと強く思った。
そして講演後にその方は「聞いてくれてありがとう。」と涙ながらに頭を下げていた。
戦争の恐ろしさと同時に、無知・無関心であることの恐ろしさも味わっただけに、今でもその「ありがとう」の言葉に見合う自分でいられているのだろうかと、己に問いかけている。
当時はとにかく高校生にもなってふざけたことをぬかすあの3人組の男子を蔑んでいたけれど、今は、彼らが高校生になるまでにきちんとあの場所の意義を伝えられる大人はいなかったのだろうかとも思う。
上で自ら知ろうとしなければ教えても意味がないとは書いたけれど、自ら知ろうとする姿勢を育てるのは大人の責任でもあると思う。
現在新型コロナウイルスによる影響で、民間運営であるひめゆり平和祈念資料館が存続の危機となっている。
戦争から遠くなればなるほど、より一層そこに想像力を働かせることが困難となってしまうだけに、自分が大人となった今は受けとる側ではなく、伝える側にならねばならないと感じている。
私たちが行ったときにはまだ無かった第六展示室、次世代の人間が平和について語り合える場をとのことで増設された『平和への広場』に、いずれ訪れたいとの想いも込めて、支援の和を少しでも広げられたらと切に願う。
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